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2017年5月5日金曜日

【劇評74】霊的存在による法の秩序の破壊 宮城聰演出『アンティゴネ』

 現代演劇劇評 平成二十九年五月 駿府城公園紅葉山庭園前広場 特設会場

宮城聰演出の『アンティゴネ』(ソポクレス作、柳沼重剛訳)が、この七月、フランス・アヴィニョンの演劇祭でオープニングを飾ることになった。場所は法王庁中庭で、今回の演劇祭ではもっとも格式の高い位置づけとなる。こうした国際的な一線の場に、アジアの演出家が立つこと、しかも、東京ではなく静岡を拠点とするSPACが招聘されたことは、日本の現代演劇史にとってエポックメイキングな出来事である。
新しい演出がまずは静岡で提示され、練りになったあげくフランスへと渡る。ふじのくに⇄せかい演劇祭2017において、新演出の『アンティゴネ』が上演された。法王庁中庭の三分の一の規模ではあるけれども、圧倒的なスペクタクルとなった。ここで作られた演出の原型は貴重なものであり、新演出の初演に立ち会える幸福を思う。

フランスでの上演と聞くと、ジャン・アヌイの『アンチゴーヌ』が真っ先に浮かんだ。けれども、今回の上演は、こうした現代的な翻案とは一線を画している。

宮城聰の演出は一言でいうと、霊的な存在による法的秩序の破壊にあると私は考えている。代表作である『マハーバーラタ』『王女メディア』『天守物語』も、この文脈に沿って演出が施されている。しかも、ここでいう法的秩序というのは、明治期に日本の近代が成立したときに、男性によって作られた明治憲法や刑法、民法が容易に想起できる。

今回の『アンティゴネ』は、舞台前面に浅い水が張られている。飛び石が中央を頂点に、左右に置かれている。中央はアンティゴネ(本多麻紀スピーカー、以下S、美加里、以下M)とイスメネ(榊原有美S、布施安寿香M)舞台上手はクレオン(阿部一徳S、大高浩一M)舞台下手はアンティゴネの婚約者ハイモン(若菜大輔S、大内米治M)の座となっている。船に乗った僧(貴島豪)の送り火によって、死者の世界から合唱隊(コロス)と演奏隊が呼び出され、送り火の中で死者を弔う「音頭」と「踊り」に囲まれて、アンティゴネの悲劇が進んで行く。
それは、このような物語であった。放浪のあとにテーバイに戻ったアンティゴネは、ポリュケイネス(三島景太)、エテオクレス(武石守正)の争いに立ち会う。ふたりの死後も、ポリュケイネスは反逆者としてクレオンの命によって弔うことを禁じられる。それに反発したアンティゴネは、王クレオンの命令に背き、兄ポリュケイネスを弔い、投獄されたが自ら命を絶ち、アンティゴネとハイモンは死んでいく。

ソフォクレスは神と人間の世界がもはやひとつとはいえなくなった時代を描いている。言いかえれば、国を統治する王は、かつての神のように大胆不敵、自由奔放に世界を破壊したり再生することは、もはや許されていない。その過渡期の世界を孤立した「座」に登場人物を置くことによって、だれも正義を具現できない現実が、いかに不自由で、行動がまなならないかを示している。
宮城がここで表そうとしているのは、単に、独裁政権の無法であり、だれも責任を取ることができなくなってしまった世界秩序の崩壊ではなかった。こうした現実のなかで人々は霊的な存在、超自然的な力をふたたび思い起こすことによって、人間が本来持っていた原理を取り戻すしかない。そう語っているように思われた。
ただし、問題もある。これは原作自体にある問題だが、婚約者であるにしても、アンティゴネとハイモンがなぜ共振するのか、具体的に言えば、なぜハイモンは父クレオンを痛烈に批判し、アンティゴネに殉じようとするのかが不分明である。
ひとつの鍵となるのが、エロスの問題だろう。アンティゴネが死を覚悟したとたん、いつまでも続くはずの生が宙づりになり、アンティゴネとハイモンのあいだに陶酔的なエロスが生まれた。劇中ではエロスを題材にした音頭が歌われるが、この身をよじるよう歓びが、登場人物の身体言語によって共有されれば、劇をより強く動かすだろう。
また、アンティゴネとハイモン、このふたりさえも決して十全には理解しえないとしても、一瞬の交錯、そして自死によるその消滅が描かれてこそ、宮城演出の『アンティゴネ』は、さらに強靭にして繊細な舞台となるだろう。

舞台中央、石の頂点にアンティゴネがあがり、太い杖が石に突き立てられた。父オイディプスは、ふたりの息子ポリュケイネスとエテオクレスが争うようにと言葉を残した。『アンティゴネ』の前編にあたる『コロノスのオイディプス』では、放浪するオィディプスは、アンティゴネに手を引かれていた。この杖はオィディプスがかつて持っていた王権のしるしのように思え、ギリシア神話の世界が開かれて、私たちのもとに届いたかのような幻想を味わった。
そして、舞台を占める暗い水がなんと恐ろしいことだろう。演者の足を濡らし、凍えさせるばかりではない。舞台全体がまるで冷ややかな冥府と成り果てた地球の隠喩のようにも思える。人は孤立した石の島にようやくへばりついて、その境界の内部へと閉じこもっている。国家と国家は深刻な対立へと傾き、個人のこころとこころは隔てられている。今こそ、水に濡れることを怖れず、飛び石を超えて語りにいく勇気を持たなければならないとこの作品は語っていた。
演奏はいよいよ快調、音楽棚川寛子。独創的な空間構成は木津潤平。衣裳デザイン高橋佳代。照明デザイン大迫浩二。ヘアメイク梶田キョウコ。七日まで。駿府城公園紅葉山庭園前広場 特設会場。